危篤状態の父にお礼と別れを告げて職場に戻ったこと☆正社員でなくてもプロ意識を持ちたかった

   


 

今日は自分の父親が亡くなる時、苦汁の決断をしなければいけないことがあったことを書かせていただきます。

ある朝、危篤状態を知らされる

これまでの記事でも書かせていただきましたが、僕の両親は離婚をしておりました。

僕は母方についていましたが、僕が20歳の時に亡くなってしまい、そこからは養父市の住宅に一人で住んでいました。

それから数年経った、25歳の秋だったでしょうか。

僕は翌年秋に結婚することになったので、父にこれまでのお礼を兼ねて電話で報告をしました。

婿養子に入ることを告げ、派遣社員から自動車教習所の先生を目指すことを言うと、とても喜んでくれたように思えます。

それからすぐに一度会おうかという電話が父からかかってきたのですが、僕は教習所の試験が控えていたので、それが終わってからにしてほしいことを言いました。

そして、数ヶ月が経った平成14年4月22日午前5時過ぎくらいでしょうか。

祖母から電話があり、「お父さんが救急車で運ばれて危ない状態だ」と留守番電話が入っていました。

父が住んでいた場所が京丹後市だったので、すぐには行けず、父が運ばれた病院への到着はお昼くらいになりました。

約8年ぶりくらいの再会になるのですが、その時はすでに意識がなく、何も反応がない危篤状態でした。

「お父さん、育ててくれてありがとうな!仕事行ってくるわ!!」

当時、僕は但馬松下という会社の下請けに入っており、派遣社員でした。

派遣社員ということは、正社員ではないので、いつ契約を切られるかわからない状態。

そんな不安定な状態から抜け出すため、自動車教習所へ就職しようと思い、すでにそこへの就職が決まっていました。

そして、僕の退職まであと1ヶ月ないくらいの時に、父が危篤となったのです。

病室にいる僕は時計を見ると、あと2時間くらいで仕事が始まる時間。

勤務体制は、夕方から夜中までの勤務でしたので、すぐに病院を出発すれば仕事に間に合うことができるのです。

普通なら父親が危篤状態であれば、休むことだって出来るでしょう。

しかし、僕は、もうすぐ退職する身です。

仕事を断るべきか、プロ意識を持って仕事に行くか。。。

とても悩みました。

悩んだ挙句、僕の出した答え。

僕は、父のベッドに近づき、「お父さん、育ててくれてありがとうな!!今から仕事に行ってくる!終わったら帰ってくるから!」と告げ、会社に向かったのです。

そして、会社での仕事を終えると、また1時間半かけて父のいる病院へ向かいました。

すると、すでに亡くなっている父の姿がありました。

僕が仕事に行かず、そのまま病院にいたら、当然父の最期を看取ることができたでしょう。

本当はそのようにしたかったです。

そりゃそうですよね。

ただ、自分の中で「行かないといけない」という意識がとても強かったのです。

きっと、退職をする予定がなかったら、「父が危篤状態なので休ませてください」と言っていたでしょう。

ひょっとすると、この行動は世間一般では正解でないのかもしれません。

何が合っていて、何が間違いかわかりませんでしたが、25歳の若造の決断はこれしかなかったのです。

たかが、派遣社員。

派遣社員であっても、最後くらいはプロらしい意地を見せたかったのです。

危篤状態であっても、僕のそんな気持ちを父は理解し、安心してくれたと今でも思っています。


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つよっさん

つよっさん

1976年、兵庫県豊岡市生まれ。介護タクシー「さくら搬送サービス」代表。バルーンパフォーマーとしての活動も行っており、ブライダルの演出なども手がける。現在、介護タクシーで起業したい人、起業したが事業をうまく軌道に乗せられない人向けの開業サポートも行っている。

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