2017/02/24

思春期の僕は母の水商売の仕事が嫌だった☆母も父も嫌だったと思う

 

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兵庫県香美町で『介護タクシーの開業、集客』の専門家として活動中! ミラサポや兵庫県商工会連合会、長崎県商工会連合会に登録し、マーケティングサルタントとして企業の相談などを行っております。また、介護タクシーの経営も実際にしております。 コンサルが出来る介護タクシー事業者として様々な事業所さんを支援中です。 (全国どこでも出張可能です!まずはお気軽にお問合せ下さい)
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サラリーマンをしているときの僕は、スナックに行くことはほとんどありませんでした。

 

しかし、起業してからはスナックに行くことはあります。

 

これって普通のことです。

 

男性に限らず、女性もそうだと思います。

 

今回は、中学時代の気持ちから今の気持ちについて書いてみたいと思います。

夕方から飲み屋のバイトに行く母を見るのが嫌だった。

 

母は、僕が中学生くらいのときに、スナックでホステスをしていました。

 

年齢で言えば40歳で今の僕くらいの年齢のときです。

 

 

まあまあの年齢ですよね(笑)

 

 

中学生だった僕は、スナックで働いている母を見て応援すると言うより、「なんでそこまでしてお金を稼がないといけないの」と思っていたことがありました。

 

 

週に何度かスナックにバイトで行くのですが、夕方くらいになると、化粧台の前で小綺麗に化粧をする母を見て、「今日もあのバイトにいくんか」という気持ちで見ていました。

 

 

これからバイトに行く母の姿を見るのが、とても嫌だった記憶があります。

 

 

そして、「ご飯はこれ食べて」と準備された夕食を食べることにとても虚しさを感じました。

 

 

親離れはしていたわけですが、他の家庭みたいに当たり前にみんなで夕食を食べるということが当たり前にできなかったような気がします。

 

酔っ払って帰ってくる姿が情けなかった。

 

日によって、母は酔っ払って帰ってくることもありました。

 

 

たくさん飲みすぎたのか、お酒の匂いがすごく、玄関のところに倒れこんでから動けない姿を見たときは、情けなく感じたのです。

 

 

しかし、そうまでしてアルバイトをするには当然のことながら、理由があります。

 

 

それは、僕を育てていくためであったでしょうし、家庭を支えていくためで仕方のないことだったのでしょう。

 

 

決して、シングルマザーとかではなく、父も一緒に住んでいたのですが、金銭的に本当に苦しかったのだと思います。

 

倒れこむまで頑張った母、理解した父、両親に感謝。

 

あのような生活から20数年経ったのですが、その当時と今の僕の生活は全く違います。

 

 

居酒屋に行ったあとに、二次会でスナックにいくことがあります。

 

 

スナックに行くと、当時のことをなんとなく思い出すことがあるのですが、その度に「母はよく頑張ったな、父も本当は嫌だったんだろうな」という気持ちになります。

 

それと、同時に母と父に感謝の気持ちがこみ上げてくるのです。

 

 

当時、中学生の僕は、両親の大変さをわかったふりをして、全然わかっていませんでした。

 

 

若いゆえに仕方のないことかもしれません。

 

 

ただ、今となっては「母も頑張った、父も頑張った、僕も耐えた、3人みんな頑張っていたな」って思います。

 

 

スナックで働いている人の中には、色々な家庭事情がある人もいるでしょう。

 

 

楽しいだけでなく、バカにされることもあれば、嫌な思いをすることがあるかもしれません。

 

 

しかし、そこで働いている人たちを見ると、本当に偉いなと尊敬します。

 

 

中学のときには嫌だった仕事から、今は大人になって尊敬して見れる仕事に変わった。

 

 

それが「水商売の仕事」です。

 

 

 


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