アル中の父親だったけど尊敬した部分があった☆優しさだけではダメ
僕の父親は54歳の時に肝硬変で亡くなりました。
当時は一緒に暮らしていなかったので祖母から聞いた話なのですが、朝4時くらいに犬が吠えるのでその先に向かうとトイレで血を吐いて倒れている父がいたようです。
そこから危篤状態になり、その日の夜に肝硬変で亡くなったということです。
そんな肝硬変で亡くなった父は、アル中だったのですが、昔からアル中だったのかというとそうでもありませんでした。
優しかった幼少時代。
僕が幼少時代の父はとても優しくて、よくキャッチボールをしてくれた思い出があります。
また、たまの仕事帰りに月間少年ジャンプを買って来てくれることもあり、そんなときはワクワクしました。本来は週刊少年ジャンプの方が良かったのですがね(笑)
あまり怒られた記憶もなく、魚釣りに連れて行ってくれたり、どこかにドライブに連れて行ってもらったいい記憶しかありません。
当時の父は、豊岡市にあった豊岡部品という会社で勤務していましたが退職し、そこから久美浜にある某ホテル、某お土産屋、そして某会社と少し職を転々としていました。
ちょうど中学時代のバブル期くらいだったでしょうか、会社勤めをしていた父は会社の上司に裏切られたことから、徐々にお酒に走るようになります。
鬼殺しという日本酒を朝から飲みまくる父。
酒の名前が恐ろしいですが、僕はまだ飲んだ事がありません。
父は休みの日であれば、朝からお酒を飲む習慣をしていました。ひょっとすると、この記事を読んでいる方の中にもそういった人がおられるかもしれませんが、ものすごく飲むんです。体が細いのにめちゃくちゃ酒豪でして、その飲みっぷりは今の僕にも似ているのかもしれません。ただ、僕の場合は過去の父や母の経験からお酒の量に関しては自由にコントロールをする事が出来るので大丈夫です。。僕とこれまでに飲んだ人はよく御存知だと思いますが、あまり酔いません(笑)
そんな酒豪というか、もうアル中だった父ですがその時にでも尊敬する部分がありました。
アル中だったにも関わらず、尊敬できる父。
父は人に対して優しさがありました。
以前、父が配達をしている時に僕もクルマに同乗させてもらいました。
冬だったのですが、朝からその日は猛吹雪で運転するのが大変そうでした。
豊岡市に文教府という施設があるのですが、そこに行く峠を走っていたところ、一台のクルマが動けなくなっていたのです。
自分自身の配達にも時間があるというのに、吹雪の中、父は必死にそのクルマをけん引して救助していたのを覚えています。
また、一人暮らしのおばあさんがお客さんでおられました。
その方に自分が採ってきたフキやたらの芽などをわざわざ持って行ったりして、人に喜んでもらうのが好きだった父でした。
そういった部分を見れば、優しさがあり、尊敬できる父であったのです。
悪い部分だけを見れば、最低な父でありましたが思い起こせばいい父だったな、尊敬出来る父だったなと思います。
自分が今、父親となり、子どもの目にどう写っているのかわかりませんが、子どもたちが大人になったときに一つでもどこか誇りに思ってもらえたり、尊敬できる父親だったなと思ってもらえる日がくれば、嬉しいです。
僕が子どもの頃、母がよく言ってました。
「お父さんはすごく優しい。でもな、男は優しさだけじゃ潰されるから、時には鬼にならんとあかんで。」
いざという時には、潰されないように鬼になれるような強い父にならないといけないかもしれないですね。
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